めんどくさいひと
加藤シゲアキさん著『できることならスティードで』を拝読している間、「この文章書いてる人、めんどくさいんだろうな」と何度か思った。
めんどくさいという言葉はマイナスイメージだから、きっと誤解を産むだろうな。じゃあ使うなって話なんだけど、自分の中でピンと来たから。めんどくさいっていうのは、自分が引っかからないようなところで引っかかって、そのことについてたくさん考えて、考えすぎるようなこと。これは褒め言葉です。
因みに、「めんどくさい」はひらがな表記である。私の中で「面倒臭い」は悪い意味ということになっている。
エッセイは日常を描くわけで、じゃあ何で勝負するかというと、その人の感性、日常の切り取り方だと思う。これ、「めんどくさい人」は滅法強い。だってエッセイは引っかかり力が勝負だから。誰の日々にも、取っかかりは転がっている。気に留めず歩いていたらただの石ころだけど、立ち止まって見方を変えると大きな意味を持つ、そんな代物が。著者は、その気付きを丁寧に掬い上げて、考えて考えて、文章にする。読者の日々にも取っかかりは落ちていて、それに気付かせてもらえるのがエッセイである。また、この取っかかりは些細なものである方が良い。その方が、読者の日常にも見出しやすいから。でも、些細な石ころだと、気づかないまま蹴飛ばしてしまいやすい。だから引っかかり力が肝心なのである。
加藤さんのエッセイはとってもおもしろく、読みやすかった。本当に贔屓目無しでおもしろかったし、私の心を軽くしてくれた。そう来るか! って思ったり、ふふっと笑ってしまったり。旅をテーマにしたエッセイ集だけれども、文章は地に足がついていた。彼の気付きで、私の世界が少し変わった。シゲアキさんのファンじゃない世界線でも読みたい。それで、「『できることならスティードで』がきっかけで好きになりました」って言いたい。
加藤さんの文章がほんまに好きなんよね。エッセイだけじゃなくて、加藤さんの書く小説も。あと、あとがきがほんま好き。生身の青年なんだってことが分かる、等身大の文章。
加藤さんのめんどくささが、私はもんのすんごく大好きだ。ほんとに好き。だからかな。そのめんどくささが滲み出てる加藤さんの文章が、めちゃくちゃ楽しい。
このめんどくささ、いろんな人にある。
NEWSのメンバーそれぞれ、どっかめんどくさいんだろうなと思っているし、ブログを書く人も、めんどくさい人が多い気がする。そのめんどくささは、こだわりとして表出して(まっすー、こだわりって言葉あまり好きじゃないって言ってたけど)、その人の大事にする部分を構成するものの一つになる。めんどくさいって大切だ。
めんどくささって、引っかかり力、及びそれについて考える力。加藤さんはご自身を好奇心旺盛だとおっしゃっていて、引っかかり力は抜群だし、しかもそれを文章にして人に伝えられるくらい思慮深い。
うわ、文字にするとめちゃくちゃ愛しいな。めっっっっっっちゃ好き。
加藤さーーん!好きですよーーーーーー!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
浪人生のろうにんあじ。